デザインをする意味
前述したことは、京都の老舗についても言えることだと思う。何百年と続く老舗でも、お店ができた頃から、まったく同じものを作っているところは、たぶんない。
もとは同じでも、少しずつ変えて、その時代に合わせた新しいものを作っている。新しいとはいっても「えらい奇をてらったことしはるな」ということにはならない。少しずつ改良して、さりげなく整えているんです。そういうのが良いなと思って。
パッと見て「デザインやってます」っていう感じのデザインって、僕はあんまり好きじゃないんです。「これデザインしてるんですか?」って言うくらいさりげなくて、でも見る人が見たら「ちゃんとデザインされてるよね」っていうのが良い。
一見普通だけど、よく見るとやっぱりプロの仕事で、素人とは全然違うなというものが好きなんです。
そうですね、僕もそう思います。微妙なところだと思うんですけどね。うちにもプロのデザイナーが、名刺のデータを持ち込むことがあるんですが、たまに「このデザインだったら、別にオフセットでええんちゃうの?」というものがあるんですよ。
なにがダメなのかはよくわからないんですけど。デジタルデータでも、すごく良いものもあるし。
活版印刷の特性が、生かされてないデザインなのかな。説明するのはむずかしいけど、そういう達人にしかわからないところがあったりすると思う。
僕は長いことデザインをやっている人間だけど、別にデザインの達人でもなんでもないんです。だけど、一緒に写植の時代を経験して、それを知っている人同士だからこそ、わかる話ってあるじゃないですか。
若いデザイナーは、きっとこの話は全然ピンと来ないし、聞いたところで全く面白くもなんともないと思うけれど、こういうデザインの移り変わりも含めて「デザインって、何のためにあるのかな」ということを、最近ちょっと考えてしまいますね。
僕はりてん堂をはじめて、本当に一般のお客さんと接する機会が増えました。なので、デザインとはコミュニケーションツールなのかなと思っています。情報の受け渡しをするためのデザインではないかと。
本来はそうですよね。
パンフレットもチラシも、デザイナーが作っているもの自体が、コミュニケーションするためのものだから。村田さんは、常にそのデザインを実際に見たり使ったりする人の一番近いところで、デザインしてモノづくりをしているよね。
僕はどうしても、実際に使う人のもっと前の段階でのデザインをすることが多いので、それが届いているかどうかが、よく分からない時があります。
本当は僕も村田さんと同じところで、仕事をしていたかったんですけど、長いことやっている間にだんだんとデザインではなく、企画したり方向性を決めたり、そういう立ち位置になってしまったんでしょうね。極端にいうと、自分でデザインしなくても完結する。だから余計に「デザインって何だろう?」って思ってしまう。