002 村田良平氏|活版印刷 りてん堂店主

写植とDTP

村田

僕がデザインの仕事をはじめた時は、ちょうどDTPへの移行期で、ほとんどMac(Macintosh)でやってましたね。写植の仕事は、もうほとんどありませんでした。

大衡

そのころは、ほぼ100パーセントMacになっていましたよね。
でもフォントはまだモリサワしかなくて、書体も少なかった。英語フォントも少なかったし、仮名フォントもあまりなかった。しかも縦組みで、インデザイン(InDesign)もまだなかったしね。あの頃、ソフトは何を使ってました?イラストレーター(Illustrator)かな。

村田

いや、クォーク(QuarkXPress)ですね

大衡

クォーク!僕はイラストレーターを使っていたから、あの時はそれを全部クォークのデータに直していたのかな。イラストレーターのデータを、PDFに変換するのも面倒くさい時代でしたよね。

村田

あのページ数なら、たぶんクォークを使っていましたね。あのころは、Macのスペックがまだ貧弱だったので、ページ数が多いものをイラストレーターで組んだら、データが重くて動かなかったと思います。

大衡

画像やデータの処理も大変だったよね。クォークだと文字組みや文字詰めが、ものすごく大変だったでしょう。よくやったよね〜。

村田

そうですね。時間もなかったし、急かされて「もうちょっと待ってください」って言いながらやってました。

大衡

僕はテーマの所だけ見本のデザインを幾つか作って、渡していただけでしたが、村田さんは全部ひとりでやってたんですか?

村田

ひとりだったかな……。写真のスキャンなんかは、誰かにお願いしたかも知れないですね。あの頃は写真もデータじゃなくてポジなんですよ。スキャンして、アタリとって……。

大衡

たしか印刷会社でスキャニングを先にしたんじゃなかったかな。時間がないから、先に画像の分解だけしていた気がする。ああ、懐かしいなぁ。

最後の版下・写植世代

大衡

村田さんと僕って、年はいくつ違うんでしたっけ。

村田

僕はいま46歳ですね。

大衡

僕と6つ違うのか〜。中1と小1くらい?(笑
でもそのくらいって、たぶんMacと写植の境目くらいだよね。ちょうど入れ替わる時期くらい。写植最後の世代だよね。

村田

僕は、実際に写植を発注したことがないんですよ。
でき上がった写植を紙焼きして、もう1回焼いて、貼ったりしていました。

大衡

僕は毎日写植を頼んでいたから、写植指定はめちゃくちゃ得意だったよ。字送りとか、歯数とかいうのはわかる?

村田

それは分かります。

大衡

字送りって、簡単に言うと写植で文字のアキを指定することなんだけど、こういうのは今の若いデザイナーには分からないかも知れないね。当時、僕がいた会社は大阪で1番か2番くらいに、写植の発注量が多いと言われていて、わざわざ連絡をしなくても、毎日数回写植の注文書(指定書)を取りに来てくれてたんだよね。

大阪にはモリサワと写研の大手2社、規模の大きな写植屋さんがあって、それぞれ僕の会社(当時勤めていたデザイン事務所)専属の営業さんがいて、1日に最低でも4回ずつ、2社あるから最低でも8回は写植の注文を取りに来てくれてたなぁ。写植の指定書(注文書)を社内の箱に入れておけば、それを回収して2時間後には仕上げてまた届けてくれる。急ぎのときは、直接の電話かFAXで発注。メールがまだなかったからね。そしたら、急ぎの分は優先して届けてくれるんだよね。
毎日、写植の量がすごかったな。

村田

すごいですね、今では考えられない。

大衡

写植からMacになって、すごく仕事が楽になると思ったんだけど、結局デザイナーの仕事が増えただけだった。写植がなくなったからデザイナーが文字を打って、カンプライターが居ないから絵も自分で描かなくちゃいけない。写真だってデジカメがあるから、ラフくらいなら自分で撮るようになった。村田さんはデザイナーが本来やらなくても良かった仕事が、段々と増えていった世代だよね。

前へ 次へ 12345678