デザイナーとクライアントの温度差
大衡
今の時代は大体のものがありますよね。そういう意味では、デザイナーが「もっとこうしたら良くなる」と、仕様自体を変えていったと思うんです。実験をしたと行っても良いんですが。
例えば戸板のサイズであるとか、机の高さそのものであるとか。でも今は何でもあるがゆえに、杉木さんたちの世代〜僕らの先輩たちがあらゆる実験をして全部やってしまったから、もうそこにも余地がないと言うか、やるところがないじゃないですか。意匠以外は。
杉木
そうやろなぁ。だから今はデザインなのか、コーディネイトなのかが微妙。あの頃はまだトレーシングペーパーに書いてたし、ディテールまで結構書き込んでたしね。最近は「この部分は、このメーカーので良いか」という感じで仕上がってしまう。
ただ「杉木さんらしいね」と言われるのは自分のセンスや感覚みたいなものが、例えば高さを合わせるとか、サイズを下げるとかいうのが空間として仕上がると「らしい」みたいになるんやけど、それは作風ではないし、その作風をつくるためにデザインをやってる訳でもない。
大衡
はい。なんとなく分かります。僕は、若い頃に田中一光さんのデザインを見て、一光さんのデザインは何を見ても一光さんなんですよね。また三宅一生さんは、すべて三宅一生さんなんですよ。それは誰が見ても分かるんです。
それぞれ全く別の仕事をしても、いろんな企業の、例えばポスターをデザインしても、その人が出てしまっているというか、同じデザイナーの同じデザイン(タッチ)ということに疑問を感じていましたね。