ミラノ・サローネと伝統工芸、デザイン
和空の初期メンバーはかなり大人数でしたね。 当初20人くらいでまで増えて、その後いろんな踏み絵(笑)を経て、現在のメンバーになりました。2002年の大阪デザイナーズウィークでしたっけ?
最初は「和空」じゃなくて、大阪デザイナーズウィークに京都から出ようという試みやった。
喜多俊之さんのお声掛けだったんですよね。
そう。でも、イタリアのロンバルディア州からの招聘が先じゃなかったかな?
いえ。大阪での展示とコンセプトをミラノに送ったんだと思います。 そして、大阪の時に堀木さんがオリジナルで制作された和紙の光柱をそのままミラノに持って行ったんです。
その時にロンバルディア州の若手デザイナーと京都の伝統工芸作家・職人、デザイナーがコラボレーションするという企画でしたね。それが2003年です。
僕たちは「伝統」というのをテーマに新しいデザインをしようとしたけれど、あの時は伝統工芸と上手く噛み合わなかった。
それでも、あの時のミラノでの出展と伝統工芸作家さんたちとのコラボが結果的に良い経験になって、デザインと伝統の距離感と言うのをつかめたような気がしますが、今思うとちょっと早すぎたんでしょうか。
まぁ、早かったんやろうなぁ。
第1回目のミラノ・サローネ(fuori Salone)出展が2003年、第2回目が2004年、第3回目が2005年と計3回、「WA-Qu Exhibition 和空展」として出展しています。で、2004年の時にレーザーカットした布を格子に見立てた、長い路地を再現した会場構成で、3回目の2005年が辻村さんの「ガラスの茶室」と「ミラノ茶会」でしたね。
ああ、そうです!小川さんをミラノに連れて行くって凄いですね〜。
あの頃(2004年)の杉木さんの年齢が、今の僕くらいでしょうか?52〜53歳?
まぁ、年齢的にはそのくらいやけど、最近は自分の精神年齢と世間からの見え方のギャップに自分自身で凄く居心地が悪い。
それはどういうことですか?
まぁ、ようやく50歳くらいの精神年齢になったと自覚したのに、今はもう70歳でしょ? 普通に黙ってたら、そう見えてるんやと思うし。
でも世間一般の70歳とは違うと思いますよ。そして、デザイナーとしてはもう50年くらいでしょうか。
デザイナーということなら、駆け出しの頃を入れて50年近いかな。 SPACE(株式会社スペース)としては、1986年からなので34年かな。独立したのはその2年前。 もう36年。フリーにならざるを得なかったというか、なってしまったというか(笑
すごいですね。ということは、フリーになるのが早かったということでしょうか。