001 杉木源三氏|スペースデザイナー

京都の点、東京の面。WA-Quの誕生

杉木

京都には独特のデザインの世界があるんだけど、東京は兎に角ビジュアルから音までがすべて同じフィールドで、常に姿が見えている環境に居たから京都って皆どこに居るんや?というのがあって、すぐ傍で気配は感じるけれど実態が見えないと言うか。

それで未だに不思議なんやけど、和空みたいにサッと集まれたのは珍しいんじゃないかと。

大衡

そうですね。和空発足が2002年。それまで業界団体や協会というか、横並びでその職種だけの集まりはあったんですが、デザイナーや建築家が集まって、ジャンルの違う職人さん達とコラボレーションするというのはあまりなかったように思います。

杉木

東京は皆仲が良いようでデザイナー同士が気になるというか、現在の自分のポジションやバランスみたいなことが分からないので、集まっては情報交換して自分の状況を確認、納得していたような気がする。

大衡

その東京時代というのは、杉木さんが武蔵野美術大学卒業から東京で就職された時ですね。よくお話に出るスーパーポテトが全盛期で、田中一光先生もまだお若い頃だと思いますが、東京は今もそうですが、京都と違って「面」で動くじゃないですか。

大きな「面」=グループみたいなのがあって、その面どうしが重なる感じでつながったり、広がったりしますよね。で、京都は割と「点」というか、グループ同士は決して重ならないですよね。

京都はこっちの点にも、あっちの点にも両方ともに入ってる人が居ても、それぞれのグループ同士が交わることは少ないですが、あれはどういう現象なんでしょうか?

杉木

まあ、そういう文化なんやろね。横から見たらもの凄い深いというか、地中へ伸びる長〜い線。上から見たら点でしかない(笑

大衡

そして、その辺の話から和空が生まれる切っ掛けとなったじゃないですか。それは、aRC FURNITUREPOINTの中塚さんと?

杉木

そう。昔から中塚さんとは二人で「何かせなあかんなぁ」と言ってたんやけど、ある時中塚さんが「そや、ミラノ・サローネに出よう」と言い出した。ちょうど50歳を過ぎたところで、何か面白いことをやってみようかと思い始めていたのもあってね。

それじゃぁどうするのということで中塚さんが辻村君に、僕が堀木さんに声を掛けることになった。それで、最初に4人(杉木源三・中塚重樹・辻村久信・堀木エリ子)で集まって色んな話をしながら「これはメンフィスや!」と盛り上がって。

その後たくさんのデザイナー、建築家へと広がっていった感じ。

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